マネー 対 ものづくり

先日 新日鉄が敵対的買収の脅威にさらされているというTV番組を見て、衝撃を受けました。

正に金さえあれば何でもありの世の中が現実化してきたわけです。
会社の価値が株式時価総額で計算され、経営権を把握できる株式数さえ、取得できれば、よその会社を我がものにできるというわけです。

このような単純なルールがマネーと結びついて神をもかえるといった傲慢な力の原理が日常化してきたということです。

他社買収の手法も単純です。
自社の時価総額をつくりあげ、ヘッジファンド等のファンドマネーを味方にすればよいのです。ヘッジファンドは金で金を稼ぐ商売ですから、儲かりそうであればすぐに手を組むわけです。

しかしながら、株式時価総額では会社の真の価値はわからないのです。
実態のない会社が投機の対象として身分不相応な株式時価総額になっている一方
基幹産業等のものづくりを行っている会社は、一般に地味であることから、株価が低いわけです。

新日鉄は、わが国が営々と築きあげてきた会社で、
我が国はもとより世界を代表するすばらしい会社、
即ち底知れなく大きな価値と存在感をもった会社です。

にもかかわらず、地味で株価が低いことから、一個人と言えるような私企業やファンドによって、買収を企てられるのです。

ものづくり企業が築き上げてきた人、技術、伝統のようなものが、通りすがりの如きマネーによっていとも簡単に買収されて崩れてゆくのは小生には許されないことです。

小生も特許明細書を作成するという観点から、ものづくりは従事している職人であり企業であると考えています。ものづくりの世界は人の知恵と努力の結晶であり、決してマネーに負けてはいけないのです。人の英知が札束で自由にできるようなことがあってはならないのです。

新日鉄の株式を保有の方が、例えTPOがあっても決して売らないように願うのみです。